の知れない陰惨なものが既に地上を覆《おお》おうとしているのだった。
 息苦しさは、白い路を眺めている彼の眼のなかにあった。だが、暫《しばら》く妻と一緒にそこに佇《たたず》んでいると、やはり戸外の夜の空気が少しずつ彼を鎮めていた。再び家に戻って来ると、さきほどと違った、かすかな爽やかさが身につけ加えられていた。……こういう一寸《ちょっと》した気分の転換を彼の妻はよく心得ているのだ。それで、彼は母親にあやされる、あの子供の気持になっていることがよくある。
 粗末な生垣《いけがき》で囲まれた二坪ほどの小庭には、彼が子供の頃|見憶《みおぼ》えて久しく眼にしなかった草花が一めんに蔓《はびこ》っていた。露草、鳳仙花《ほうせんか》、酸漿《ほおずき》、白粉花《おしろいばな》、除虫菊……密集した小さな茎の根元や、くらくらと光線を吸集してうなだれている葉裏に、彼の眼はいつもそそがれる。とすさまじい勢で時が逆流する。子供の時そういうものを眺めた苦悩とも甘美とも分ちがたい感覚がすぐそこにあり、何か密画風の世界と、それをとりまく広漠たる夢魔が入り混っていた。それは彼の午睡のなかにも現れた。ぐったりと頭と肩は石の
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