んでゐると、やさしい交流が遠くに感じられた。
……それは恋といふのではなかつたが、彼は昨年の夏以来、ある優しいものによつて揺すぶられてゐた。ふとしたことから知りあひになつた、Uといふ二十二になるお嬢さんは、彼にとつて不思議な存在になつた。最初の頃、その顔は眩しいやうに彼を戦かせ、一緒にゐるのが何か呼吸苦しかつた。が、馴れるに随つて、彼のなかの苦しいものは除かれて行つたが、何度逢つても、繊細で清楚な鋭い感じは変らなかつた。彼はそのことを口に出して讃めた。すると、タイピストのお嬢さんは云ふのだつた。
「女の心をそんな風に美しくばかり考へるのは間違ひでせう。それに、美はすぐにうつろひますわ」
彼は側にゐる、この優雅な少女が、戦時中、十文字に襷をかけて挺身隊にゐたといふことを、きいただけでも何か痛々しい感じがした。一緒にお茶を飲んだり、散歩してゐる時、声や表情にパツと新鮮な閃めきがあつた。二十二歳といへば彼が結婚した時の妻の年齢であつた。
「とにかく、あなたは懐しいひとだ。懐しいひととして憶えておきたい」
神田を引あげる前の晩、彼が部屋中を荷物で散らかしてゐると、Uは窓の外から声をかけた
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