く咄嗟にペンをとつて書いた。それから彼はMと一緒に中央公民館の方へ、ぶらぶら歩いて行つた。Mは以前から広島のことに関心をもつてゐるらしかつたが、今度ここで何を感受するのだらうか、と彼はふと想像してみた。よく晴れた麗しい日和で、空気のなかには何か細かいものが無数に和みあつてゐるやうだつた。中央公民館へ来ると、会場は既に聴衆で一杯だつた。彼も今ここで行はれる講演会に出て喋ることにされてゐた。彼は自分の名や作品が、まだ広島の人々にもよく知られてゐるとは思はなかつた。だが、やはり遭難者の一人として、この土地とは切り離せないものがあるのではないかとおもへた。……喋らうとすることがらは前から漠然と考へつづけてゐた。子供の時、見なれた土手町の桜並木、少年の頃くらくらするやうな気持で仰ぎ見た国秦寺の樟の大樹の青葉若葉、……そんなことを考へ耽けつてゐると、いま頭のなかは疼くやうに緑のかがやきで一杯になつてゆくやうだつた。すると、講演の順番が彼にめぐつて来た。彼はステージに出て、渦巻く聴衆の顔と対きあつてゐたが、緑色の幻は眼の前にチラついた。顔の渦のなかには、あの日の体験者らしい顔もゐるやうにおもへた。
 その講演会が終ると、バスはペンクラブの一行を乗せて夕方の観光道路を走つてゐた。眼の前に見える瀬戸内海の静かなみどりは、ざわめきに疲れた心をうつとりとさせるやうだつた。汽船が桟橋に着くと、灯のついた島がやさしく見えて来た。旅館に落着いて間もなく、彼はある雑誌社の原爆体験者の座談会の片隅に坐つてゐた。
 翌日、ペンクラブは解散になつたので、彼は一行と別れ、ひとり電車に乗つた。幟町の家へ帰つてみると、裏の弟と平田屋町の次兄が来てゐた。かうして兄弟四人が顔をあはすのも十数年振りのことであつた。が、誰もそれを口にして云ふものもなかつた。三畳の食堂は食器と人でぎつしりと一杯だつた。「広島の夜も少し見よう。その前に平田屋町へ寄つてみよう」と、彼は次兄と弟を誘つて外に出た。次兄の店に立寄ると、カーテンが張られ灯は消えてゐた。
「みんなが揃つてゐるところを一寸だけ見せて下さい」
 奥から出て来た嫂に彼はさう頼んだ。寝巻姿や洋服の子供がぞろぞろと現れた。みんな、嘗て八幡村で侘しい起居をともにした戦災児だつた。それぞれ違ふ顔のなかで、彼に一番懐いてゐた長女のズキズキした表情が目だつてゐた。彼はまたすぐ往来
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