。罹災後《りさいご》、半年あまり、そこで悲惨な生活をつづけた八幡村へも、久し振りで行ってみたかった。今では街からバスが出ていて、それで行けば簡単なのだが、五年前とぼとぼと歩いた一里あまりの、あの路を、もう一度足で歩いてみたかった。それで翌日、彼はまず高須の妹の家に立寄った。この新築の家にあがるのも、再婚後産れた子供を見るのも、これがはじめてだった。
「もう年寄になってしまいました。今ではあなたの方が弟のように見える」と妹は笑った。側では這《は》い歩きのできる子供が、拗《す》ねた顔で母親を視凝《みつ》めていた。
「あなたは別に異状ないのですか。眼がこの頃、どうしたわけか、涙が出てしようがないの。A・B・C・Cで診《み》て貰おうかしらと思ってるのですが」
 妹と彼とは同じ屋内で原爆に遭《あ》ったのだが、五年後になって異状が現れるということがあるのだろうか。……だが、妹は義兄の例を不安げに話しだした。その義兄はあの当時、原爆症で毛髪まで無くなっていたが、すぐ元気になり、その後長らく異状なかったのに、最近になって頬《ほお》の筋肉がひきつけたり、衰弱が目だって来たというのだ。そんな話をきいている
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