と平田屋町の次兄が来ていた。こうして兄弟四人が顔をあわすのも十数年振りのことであった。が、誰もそれを口にして云うものもなかった。三畳の食堂は食器と人でぎっしりと一杯だった。「広島の夜も少し見よう。その前に平田屋町へ寄ってみよう」と、彼は次兄と弟を誘って外に出た。次兄の店に立寄ると、カーテンが張られ灯は消えていた。
「みんなが揃《そろ》っているところを一寸《ちょっと》だけ見せて下さい」
 奥から出て来た嫂《あによめ》に彼は頼んだ。寝巻姿や洋服の子供がぞろぞろと現れた。みんな、嘗《かつ》て八幡村で佗《わび》しい起居をともにした戦災児だった。それぞれ違う顔のなかで、彼に一番|懐《なつ》いていた長女のズキズキした表情が目だっていた。彼はまたすぐ往来に出た。それから三人はぶらぶらと広島駅の方まで歩いて行った。夜はもう大分遅かったが、猿猴橋《えんこうばし》を渡ると、橋の下に満潮の水があった。それは昔ながらの夜の川の感触だった。京橋まで戻って来ると、人通りの絶えた路の眼の前を、何か素速いものが横切った。
「いたち」と次兄は珍しげに声を発した。
 彼はまだ見ておきたい場所や訪ねたい家が、少し残っていた
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