彼女は鉤を外して、掌に掴んだ魚を空二の方に差出した。
 空二がおそるおそる掌を出すと、青い大きな魚は空二の掌に触つた瞬間ピリリと動いた。空二は吃驚して手を引込めた。魚は地上に墜ちて、ピンピン跳ね出した。眼も、腹も、砂まみれになつて、跳ねてゐる魚が、突然、空二を異常な恐怖に突落した。うわあ、と泣きながら、彼はガタガタ戦きだした。
「ああ、お魚が怕かつたのですか、それではもうこれは逃がしてやりませうね」
 婦人は砂まみれの魚を水の中に放つた。しかし、空二はますます烈しく顫へて来た。「怕い、怕い」と、夢中で婦人に縋りついた。婦人は空二を抱き上げて、再び芝生のところへ運んで行つた。空二の顔は死人のやうに真白であつた。
「おお、可哀相に、暫くここでお休みなさい」と、婦人は膝の上に空二の頭を載せてやり、静かに頭髪を撫でてゐた。
「見える! 見える」と、空二はなほも口走つた。
「いいえ、もう見えは致しません。そら、眼を閉ぢて、静かに息をなさいませ。何にも、なんにも見えはしないでせう」
 婦人の膝の温もりが、空二の頬に伝はつて来るに随つて、彼は次第に気が鎮まつて行つた。
「お可哀相に、あなたは大分神経
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