と頭のなかであせつた。が、いつもなら、すぐに浮んで来る筈の言葉が今はさつぱり思ひ浮ばなかつた。
「煙草をくれませんか」彼はまるで別のことを喋つてしまつた。
「煙草、そんなものをどうなさるのです」
「無かつたのかなあ、つまらないなあ」と、彼は残念さうに自分の頬をさすつた。
「煙草はいけません、それに火があぶなう御座いますよ」
 婦人は親切げにつけ加へた。彼はふと苦笑したくなつた。ところが、どういふものか突然、大きな声をあげて叫び出した。
「煙草をおくれ、煙草をおくれ」
 さうして、空二はだだをこねる子供のやうに頭を左右に振つてゐた。
「いいえ、煙草はいけません、そのかはりこれを差上げませう」
 婦人はさつき空二が放つたキヤラメルの函を取上げて、その中から一つキヤラメルを摘み、空二の唇許へ持つて来た。空二は口を頑に噤んで頤を左右に振つた。
「ねえ、空二さんは賢いお方でせう、そんな意地張りをなさるものではありません。ほうら、この紙の中からこんなものが出て来ましたよ。これをあなたの口の中につるつと入れてみませう」
 空二は何時の間にかおとなしくなつて、口の中にキヤラメルを入れられてゐる自分を見
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