た唇から、たらたらとよだれが零れた。はつとして襟許を視ると、彼の首にはちやんとビロウドの縁のついた涎掛がつけてあつた。そればかりではなかつた。彼は緑と黄の毛糸の子供服を着せられてゐるのに気附いた。すると、空二は今にも背髄の方から一種の痙攣が始まりさうな気がした。彼はその車から飛上つて、滅茶苦茶に暴れ出したい衝動が蠢いた。彼の眼は青く戦いた。しかし、彼の体のうちに始まりかけた痙攣はピクリと彼の指さきを戦かせただけで、やがて曖昧に消えて行つた。彼はぐつたりとクツシヨンの方へ頭を埋めた。
「まだお眼がよく覚められないのですね」と、婦人は面白さうに彼の顔を見守つて笑つた。
「ああ」と、空二は奇妙な声を出して唸つた。いつもの自分の声とはまるで違つてゐるやうであつた。彼は指で眼を小擦つて、もう一度あたりを改めて見廻した。乳母車の幌からは幾すぢものリボンが吊されて、それに造花や薬玉が結んであるのが、ぶらぶら揺れてゐる。それを見てゐると、何だかまた腹立たしくなつて来た。よくは呑込めなかつたが、どうも自分をこんな目に逢はせてゐるのは、今彼を運んでゆく女の所為のやうに思へた。空二は婦人にむかつて抗議しよう
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