キヤラメルの函であつた。彼はつまらなさうにその函を放つた。それから再び狭い車内を探してゐると、漫画の本が出て来た。彼はそれを膝の上に展げてちよつと見入つてゐたが、すぐに、にやにや笑ひだした。それから、ふと見識らぬ婦人が側にゐるのを思ひ出した。すると彼は妙に気恥しくなつた。空二は漫画の本を横に隠して、顔を婦人の方へ向けた。空二の眼に好色的な輝きが漲つて来たが、婦人は清浄無垢の表情をしてゐる。
いささか勝手が違ふので空二は不審げにその女を視凝めた。視てゐるうちに彼の心は和んで、婦人の善良な魂がほほゑみかけて来るやうに思へた。空二は苦々しげに眉を顰めた。すると、今迄車の柄に手を掛けながら心もすずろに眩しさうな顔つきで歩いてゐた婦人が、はじめて乳母車の中の空二に眼を注いだ。
「お目ざめになりました、空二さん」
婦人のその声は幼児を恍惚とさすやうな響をもつてゐた。空二はかすかに聞き憶えのある声のやうにおもへたが、誰だつたのか思ひ出せなかつた。そして、今この女から嬰児をあやすやうな態度をとられたことが、少し気に喰はなかつた。
空二は露骨に不快な表情を作るため唇をゆがめようとした。と、歪みかけ
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