やはらかい口調で婦人が喋り出すと、空二は婦人の声に連れられて、ふんわりした雲の中に這入つて行くやうな気持がした。彼の眼はとろんとして、上の※[#「目+検のつくり」、第4水準2−82−3]と下の※[#「目+検のつくり」、第4水準2−82−3]が今にも重なりさうになる。
「………その人はだんだん生長してゆきましたが、ちよつとしたことが、すぐに気に触る性質でした。そのために、普通の人なら平気なことも、その人にとつては堪へられないことがありました。そしてその人は心のあちこちに、沢山の負傷をして参りました。その人は自分で自分に打克つ力が無かつたために、その疵はなかなか治りませんでした。そのうへ何か立派なことをしようと思ひたつても疵のことがすぐ気にかかりました。すると疵の方でその人を誘惑してすぐに怠けさせてしまひます。そんな風に、その人は意志の弱いところがありましたが、また妙に意地は強いのでした。………」
 うつとりと眼を細めてゐた空二は急にハツとしたやうに婦人を視つめた。相変らず婦人は子守唄を歌ふやうな調子で喋りつづけてゐるのだつた。
「………とその人のお家の庭には春になると、山吹や藤の花が咲
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