沢な緞子の炬燵蒲団が、スタンドの光に射られて紅く燃えてゐる、――その側に、気の抜けたやうな順一の姿が見かけられることがあつた。その光景は正三に何かやりきれないものをつたへた。だが、翌朝になると順一は作業服を着込んで、せつせと疎開の荷造を始めてゐる、その顔は一図に傲岸な殺気を含んでゐた。……それから時々、市外電話がかかつて来ると、長兄は忙しげに出掛けて行く。高須には誰か調停者がゐるらしかつた――が、それ以上のことは正三にはわからなかつた。
 ……妹はこの数年間の嫂の変貌振りを、――それは戦争のためあらゆる困苦を強ひられて来た自分と比較して、――戦争によつて栄耀栄華をほしいままにして来たものの姿として、そしてこの訳のわからない今度の失踪も、更年期の生理的現象だらうかと、何かもの恐ろしげに語るのであつた。……だらだらと妹が喋つてゐると、清二がやつて来て黙つて聴いてゐることがあつた。「要するに、勤労精神がないのだ。少しは工員のことも考へてくれたらいいのに」と次兄はぽつんと口を挿む。「まあ、立派な有閑マダムでせう」と妹も頷く。「だが、この戦争の虚偽が、今ではすべての人間の精神を破壊してゆくのでは
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