ないかしら」と、正三が云ひだすと「ふん、そんなまはりくどいことではない、だんだん栄耀の種が尽きてゆくので、嫂はむかつ腹たてだしたのだ」と清二はわらふ。
 高子は家を飛出して、一週間あまりすると、けろりと家に帰つて来た。だが、何かまだ割りきれないものがあるらしく、四五日すると、また行衛を晦ました。すると、また順一の追求が始まつた。「今度は長いぞ」と順一は昂然として云ひ放つた。「愚図愚図すれば、皆から馬鹿にされる。四十にもなつて、碌に人に挨拶もできない奴ばかりぢやないか」と弟達にあてこすることもあつた。……正三は二人の兄の性格のなかに彼と同じものを見出すことがあつて、時々、厭な気持がした。森製作所の指導員をしている康子は、兄たちの世間に対する態度の拙劣さを指摘するのだつた。その拙劣さは正三にもあつた。……しかし、長い間、離れてゐるうちに、何と兄たちはひどく変つて行つたことだらう。それでは正三自身はちつとも変らなかつたのだらうか。……否。みんなが、みんな、日毎に迫る危機に晒されて、まだまだ変らうとしてゐるし、変つてゆくに違ひない。ぎりぎりのところをみとどけなければならぬ。――これが、その頃の
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