いよいよ疎開だ」
「ふん、さういふことになつたのか。してみると、広島は東京よりまづ三月ほど立遅れてゐたわけだね」正三が何の意味もなくそんなことを呟くと、
「それだけ広島が遅れてゐたのは有難いと思はねばならぬではないか」と清二は眼をまじまじさせて、なほも硬い表情をしてゐた。
 ……大勢の子供を抱へた清二の家は、近頃は次から次へとごつたかへす要件で紛糾してゐた。どの部屋にも、疎開の衣類が跳繰りだされ、それに二人の子供は集団疎開に加はつて近く出発することになつてゐたので、その準備だけでも大変だつた。手際のわるい光子はのろのろと仕事を片づけ、どうかすると無駄話に時を浪費してゐる。清二は外から帰つて来ると、いつも苛々した気分で妻にあたり散らすのであつたが、その癖、夕食が済むと、奥の部屋に引籠つて、せつせとミシンを踏んだ。リユツクサツクを縫ふのであつた。しかし、リユツクなら既に二つも彼の家にはあつたし、急ぐ品でもなささうであつた。清二はただ、それを拵へる面白さに夢中だつた。「なあにくそ、なあにくそ」とつぶやきながら、針を運んだ。「職人なんかに負けてたまるものか」事実、彼の拵へたリユツクは下手な職人
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