の品よりか優秀であつた。
 ……かうして、清二は清二なりに何か気持を紛らし続けてゐたのだが、今日、被服支廠に出頭すると、工場疎開を命じられたのには、急に足許が揺れだす思ひがした。それから帰路、竹屋町辺まで差しかかると、昨日まで四十何年間も見馴れた小路が、すつかり歯の抜けたやうになつてゐて、兵隊は滅茶苦茶に鉈を振るつてゐる。廿代に二三年他郷に遊学したほかは、殆どこの郷土を離れたこともなく、与へられた仕事を堪へしのび、その地位も漸く安定してゐた清二にとつて、これは堪へがたいことであつた。……一体全体どうなるのか。正三などにわかることではなかつた。彼は、一刻も速く順一に会つて、工場疎開のことを告げておきたかつた。親身で兄と相談したいことは、いくらもあるやうな気持がした。それなのに、順一は順一で高子のことに気を奪はれ、今は何のたよりにもならないやうであつた。
 清二はゲートルをとりはづし、暫くぼんやりしてゐた。そのうちに上田や三浦が帰つて来ると、事務室は建物疎開の話で持ちきつた。「乱暴なことをする喃。ちうに、鋸で柱をゴシゴシ引いて、縄かけてエンヤサエンヤサと引張り、それで片つぱしからめいで行く
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