ていられなかった。がらくたといっても、度重《たびかさ》なる移動のためにあんな風になったので、彼女が結婚する時まだ生きていた母親がみたててくれた記念の品であった。自分のものになると箒《ほうき》一本にまで愛着する順一が、この切ない、ひとの気持は分ってくれないのだろうか。……彼女はまたあの晩の怕《こわ》い順一の顔つきを想い浮べていた。
 それは高子が五日市町に疎開する手筈のできかかった頃のことであった。妻のかわりに妹をこの家に移し一切を切廻さすことにすると、順一は主張するのであったが、康子はなかなか承諾しなかった。一つには身勝手な嫂に対するあてこすりもあったが、加計町の方へ疎開した子供のことも気になり、一そのこと保姆《ほぼ》となって其処《そこ》へ行ってしまおうかとも思い惑った。嫂と順一とは康子をめぐって宥《なだ》めたり賺《すか》したりしようとするのであったが、もう夜も更《ふ》けかかっていた。
「どうしても承諾してくれないのか」と順一は屹《きっ》となってたずねた。
「ええ、やっぱし広島は危険だし、一そのこと加計町の方へ……」と、康子は同じことを繰返した。突然、順一は長火鉢《ながひばち》の側にあ
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