ると、来客と応対しながらじろじろ眺めていた順一はとうとう堪《たま》りかねたように、「そんな数え方があるか、遊びごとではないぞ」と声をかけた。せっせと手紙を書きつづけていた片山が、すぐにペンを擱《お》いて、正三の側にやって来た。「あ、それですか、それはこうして、こんな風にやって御覧なさい」片山は親切に教えてくれるのであった。この彼よりも年下の、元気な片山は、恐しいほど気がきいていて、いつも彼を圧倒するのであった。
艦載機がこの街に現れてから九日目に、また空襲警報が出た。が、豊後水道《ぶんごすいどう》から侵入した編隊は佐田岬《さたみさき》で迂廻《うかい》し、続々と九州へ向うのであった。こんどは、この街には何ごともなかったものの、この頃になると、遽《にわ》かに人も街も浮足立って来た。軍隊が出動して、街の建物を次々に破壊して行くと、昼夜なしに疎開の馬車が絶えなかった。
昼すぎ、みんなが外出したあとの事務室で、正三はひとり岩波新書の『零の発見』を読み耽《ふけ》っていた。ナポレオン戦役の時、ロシア軍の捕虜になったフランスの一士官が、憂悶《ゆうもん》のあまり数学の研究に没頭していたという話は、妙に彼の心に触れるものがあった。……ふと、そこへ、せかせかと清二が戻って来た。何かよほど興奮しているらしいことが、顔つきに現れていた。
「兄貴はまだ帰らぬか」
「まだらしいな」正三はぼんやり応《こた》えた。相変らず、順一は留守がちのことが多く、高子との紛争も、その後どうなっているのか、第三者には把《つか》めないのであった。
「ぐずぐずしてはいられないぞ」清二は怒気を帯びた声で話しだした。「外へ行って見て来るといい。竹屋町の通りも平田屋町辺もみんな取払われてしまったぞ。被服支廠《ひふくししょう》もいよいよ疎開だ」
「ふん、そういうことになったのか。してみると、広島は東京よりまず三月ほど立遅れていたわけだね」正三が何の意味もなくそんなことを呟《つぶや》くと、
「それだけ広島が遅れていたのは有難いと思わねばならぬではないか」と清二は眼をまじまじさせてなおも硬《かた》い表情をしていた。
……大勢の子供を抱《かか》えた清二の家は、近頃は次から次へとごったかえす要件で紛糾していた。どの部屋にも疎開の衣類が跳繰《はねく》りだされ、それに二人の子供は集団疎開に加わって近く出発することになっていたので
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