た。その妻とも死別れ、彼が広島の長兄の家に寄寓するやうになると、もう空襲警報の頻発する頃であつたが、彼はよくその次兄の家へ立寄つた。玄関に佇めば庭と座敷と川が一目に見渡せた。その庭の滴るばかりの緑樹は殆どこの世の見おさめのやうに絢爛としてゐた。今もふと暖かい春の陽気が、あの頃の不思議な巷の感覚を甦らせた。塀越しにそよいでゐたアカシアの悩ましげな青葉……恐怖に張りつめられて青く美しかつた空……それらが胸をふさぐやうだつた。
饒津公園の方へ歩いて行くと、その辺は重傷者と死骸のごろごろしてゐた路だが、今は快適な温度と陽の光がひつそりと砂の上に溢れてゐるのだつた。烈しい火炎に包まれて燃え上つた兵営の跡は、住宅地域になつて、マツチ箱のやうな家が荒い路に並んでゐる。それから、駅の広場へ出ると、ここは闇市の雑沓ぶりで、突然彼の頭上から広告塔の女の声が叫びかけたりする。新しい雑沓や悲しげな荒廃の巷を歩き廻つてゐるうちに、何とも名ざすことのできない情感が満ちて来た。
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世は去り世は来《きた》る 地は永久《とこしへ》に長存《たもつ》なり
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