る。それから外食のため外に出かけると、さつき視詰めたペン先がふと眼の前にちらつく。すると小さな万年筆ながら実に物凄く、まるで巨大な針のやうなのだ。何か制するに困難な無限感が湧上つて、そのなかに針は突立つて行かうとする。彼はほとほと困惑しながら事務所の二階に戻つて来る。それから、ごろりと畳の上に横たはり、天井を眺めてゐると、今度は彼の体全体が一つの巨大な針のやうに想へる。たしかに、その針は磁石のやうに一つの極を指差してゐる。ぎしぎしとその二階がゆるく回転し畳はむくむく揺れてゐるやうだが、彼の思考は石のやうに動かうとしない。だが、眼の前にあるこの無限感は、忽ち、(あツといふ叫びとともに)彼の上に崩れ墜ちさうになるのだ。
(ニユー・アダム、ニユー・アダムよ、待つてくれ給へ。僕は君を君の郷土へ連れて行かう。ほんとなのだ、どのみち、僕は少しばかしの所有地を売却するため近く広島へ行つて来たいと思つてゐる。だから、その時はきつと君をつれて行くから、まあ少し待つてくれ給へ。)
土地の売却は兄に頼んであつたが、なかなか返事がなかつた。そのうちにも彼の生活は底をついて来た。踵に火のついた想ひで、とうとう
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