まま。(無限階段)〉
 女は彼と反対側の電車で帰つた。淋しさうな女だが、とにかくああして帰つて行く場所はあるのかと、何となしに彼は吻とした。人間が地上にはつきりした巣をもつていること(それは妻が生きてゐた頃なら別に不思議でもなかつたが)今では彼にとつて殆ど驚異に近かつた。あの時……、彼の頭上に真暗なものが崩れ落ちると、その時から、彼には空間が殆ど絶え間なく波のやうに揺れ迫つた。その時から、彼は地上の巣を喪ひ、空間はひつきりなしに揺れ返つたのだ。……火焔のなかを突切つて、河原まで逃げて来ると、そこには異形の裸体の重傷者がずらりと並んでゐる。彼はそのなかから変りはてた少女を見つける。それは兄の家の女中なのだ。彼はその時から、苦しがる少女に附添つて面倒をみる。ふくふくに腫れ上つた四肢を支へてやると、少女の躯ともおもへぬほど無気味だが、水を欲しがる唇は嬰児のやうに哀れだ。やがて、二晩の野宿の揚句、彼は傷いた兄の家族と一緒に寒村の農家に避難する。だが、この少女だけは家に収容しきれず村の収容所に移される。ある日、彼はその女中のために蒲団を持つて収容所を訪れる。板の間の筵の上にごろごろしてゐる重傷者
前へ 次へ
全23ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング