お茶を運んでいる。(ここでも、人間が人間を……。だが、人間が人間と理解し合うには、ここでは二十種類位の符牒《ふちょう》でこと足りる。たとえば、
 清潔 立派 抵抗 ひねる 支える 崩れる ハッタリ ずれ カバア フィクション etc,
 そんな言葉の仕組だけで、お互がお互を刺戟《しげき》し、お互に感激し、そして人間は人間の観念を確かめ合い、人間は人間の観念を生産してゆく。だが、僕の靴底を流れるこの冷たい流れ、これは一たい何なのだ。)……ふと気がつくと、向うのテーブルでさっきまで議論に熱狂していた連中の姿も今はない。夜更《よふけ》が急に籐椅子《とういす》の上に滑《すべ》り堕《お》ちている。隣の椅子で親切な友人はギラギラした眼の少女と話しあっている。(お腹《なか》がすいたな、何か食べに行かないか)友人は少女を誘う。(ええ、わたしとても貧乏なのよ)少女は二人の後について夜更の街を歩く。冷たい雨がぽちぽち降ってくる。彼の靴底はすぐ雨が沁《し》みて、靴下まで濡れてゆく。灯をつけた食べもの屋はもう何処にもなさそうだ。(君もそんな靴はいていて、雨が沁みるだろう)彼はふと少女に訊ねてみる。(ええ 沁み
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