外界を厭はうと、外界の方がもつと激しく僕を拒否するかもしれないのだ。

 僕は金物屋の軒先を通りかかつて、目に入る品物にふと不安を感じる。あんなに沢山の食器類はやがて、それぞれ何処かの家の戸棚に収まるのだらう。が、僕にはもうそれらの食器類の名称がわからなくなつたやうな気さへする。アルマイト……ニツケル……無理矢理に僕は何か忘れかけたものを憶ひ出さうとしてみる。だが、何かが僕から滑り墜ちるのだ。お前が生きてゐた頃、僕は何の不安もなく、家のなかの什器類にとり囲まれてゐた。久しい間、僕には家のなかにある品物の名称も形状もすつかりあたりまへのことになつてゐた。今になつて、僕はあのおびただしい器具や衣類が夢のやうにおもへる。焼けて灰になつてしまつた、それらの夢は、もうどこにも収まりやうはないのだ。
 だから、それらの夢はぼんやりと空気のなかに溶けて、地上を流れてうごいてゆく。お前と死別れてから、「家」といふものを喪つてから、この地上を流転してゐる僕には、おびただしく流れ動いてゐるものを空白のなかに見おくるばかりなのだ。だけど、今でもやはり、この地上には無数の家が存在して、その軒下では無数の憂鬱と
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