らしかった。
 炎天に曝《さら》されている墓石に水を打ち、その花を二つに分けて左右の花たてに差すと、墓のおもてが何となく清々《すがすが》しくなったようで、私はしばらく花と石に視入《みい》った。この墓の下には妻ばかりか、父母の骨も納っているのだった。持って来た線香にマッチをつけ、黙礼を済ますと私はかたわらの井戸で水を呑《の》んだ。それから、饒津《にぎつ》公園の方を廻って家に戻ったのであるが、その日も、その翌日も、私のポケットは線香の匂《にお》いがしみこんでいた。原子爆弾に襲われたのは、その翌々日のことであった。


 私は厠《かわや》にいたため一命を拾った。八月六日の朝、私は八時頃床を離れた。前の晩二回も空襲警報が出、何事もなかったので、夜明前には服を全部脱いで、久し振りに寝間着に着替えて睡《ねむ》った。それで、起き出した時もパンツ一つであった。妹はこの姿をみると、朝寝したことをぶつぶつ難じていたが、私は黙って便所へ這入《はい》った。
 それから何秒後のことかはっきりしないが、突然、私の頭上に一撃が加えられ、眼の前に暗闇《くらやみ》がすべり墜《お》ちた。私は思わずうわあ[#「うわあ」に傍
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