歩も歩けないから置去りにしてくれといふ。そこで私は彼と別れ、一人で饒津公園の方へ進んだ。ところどころ崩れたままで焼け残つてゐる家屋もあつたが、到る処、光の爪跡が印されてゐるやうであつた。とある空地に人が集まつてゐた。水道がちよろちよろ出てゐるのであつた。ふとその時、姪が東照宮の避難所で保護されてゐるといふことを、私は小耳に挿んだ。
 急いで、東照宮の境内へ行つてみた。すると、いま、小さな姪は母親と対面してゐるところであつた。昨日、橋のところで女中とはぐれ、それから後は他所の人に従いて逃げて行つたのであるが、彼女は母親の姿を見ると、急に堪へられなくなつたやうに泣きだした。その首が火傷で黒く痛さうであつた。
 施療所は東照宮の鳥居の下の方に設けられてゐた。はじめ巡査が一通り原籍年齢などを取調べ、それを記入した紙片を貰ふてからも、負傷者達は長い行列を組んだまま炎天の下にまだ一時間位は待たされてゐるのであつた。だが、この行列に加はれる負傷者ならまだ結構な方かもしれないのだつた。今も、「兵隊さん、兵隊さん、助けてよう、兵隊さん」と火のついたやうに泣喚く声がする。路傍に斃れて反転する火傷の娘であつ
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