し、走り廻つてゐる。「水を、水を、水を下さい、……ああ、……お母さん、……姉さん、……光ちやん」と声は全身全霊を引裂くやうに迸り、「ウウ、ウウ」と苦痛に追ひまくられる喘ぎが弱々しくそれに絡んでゐる。――幼い日、私はこの堤を通つて、その河原に魚を獲りに来たことがある。その暑い日の一日の記憶は不思議にはつきりと残つてゐる。砂原にはライオン歯磨の大きな立看板があり、鉄橋の方を時々、汽車が轟と通つて行つた。夢のやうに平和な景色があつたものだ。

 夜が明けると昨夜の声は熄んでゐた。あの腸を絞る断末魔の声はまだ耳底に残つてゐるやうでもあつたが、あたりは白々と朝の風が流れてゐた。長兄と妹とは家の焼跡の方へ廻り、東練兵場に施療所があるといふので、次兄達はそちらへ出掛けた。私もそろそろ東練兵場の方へ行かうとすると、側にゐた兵隊が同行を頼んだ。その大きな兵隊は、余程ひどく傷ついてゐるのだらう、私の肩に依掛りながら、まるで壊れものを運んでゐるやうに、おづおづと自分の足を進めて行く。それに足許は、破片といはず、屍といはず、まだ余熱を燻らしてゐて、恐ろしく嶮悪であつた。常磐橋まで来ると、兵隊は疲れはて、もう一
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