、最初の一撃で駄目になつてゐた。彼は四五名と一緒に比治山に逃げ、途中で白い液体を吐いた。それから一緒に逃げた友人の処へ汽車で行き、そこで世話になつてゐたのださうだ。しかし、この甥もこちらへ帰つて来て、一週間あまりすると、頭髪が抜け出し、二日位ですつかり禿になつてしまつた。今度の遭難者で、頭髪が抜け鼻血が出だすと大概助からない、といふ説がその頃大分ひろまつてゐた。頭髪が抜けてから十二三日目に、甥はとうとう鼻血を出しだした。医者はその夜が既にあぶなからうと宣告してゐた。しかし、彼は重態のままだんだん持ちこたへて行くのであつた。

 Nは疎開工場の方へはじめて汽車で出掛けて行く途中、恰度汽車がトンネルに入つた時、あの衝撃を受けた。トンネルを出て、広島の方を見ると、落下傘が三つ、ゆるく流れてゆくのであつた。それから次の駅に汽車が着くと、駅のガラス窓がひどく壊れてゐるのに驚いた。やがて、目的地まで達した時には、既に詳しい情報が伝はつてゐた。彼はその足ですぐ引返すやうにして汽車に乗つた。擦れ違ふ列車はみな奇怪な重傷者を満載してゐた。彼は街の火災が鎮まるのを待ちかねて、まだ熱いアスフアルトの上をずんずん進んで行つた。そして一番に妻の勤めてゐる女学校へ行つた。教室の焼跡には、生徒の骨があり、校長室の跡には校長らしい白骨があつた。が、Nの妻らしいものは遂に見出せなかつた。彼は大急ぎで自宅の方へ引返してみた。そこは宇品の近くで家が崩れただけで火災は免がれてゐた。が、そこにも妻の姿は見つからなかつた。それから今度は自宅から女学校へ通じる道に斃れてゐる死体を一つ一つ調べてみた。大概の死体が打伏せになつてゐるので、それを抱き起しては首実検するのであつたが、どの女もどの女も変りはてた相をしてゐたが、しかし彼の妻ではなかつた。しまひには方角違ひの処まで、ふらふらと見て廻つた。水槽の中に折重なつて漬つてゐる十あまりの死体もあつた。河岸に懸つてゐる梯子に手をかけながら、その儘硬直してゐる三つの死骸があつた。バスを待つ行列の死骸は立つたまま、前の人の肩に爪を立てて死んでゐた。郡部から家屋疎開の勤労奉仕に動員されて、全滅してゐる群も見た。西練兵場の物凄さといつたらなかつた。そこは兵隊の死の山[#「山」は底本では「出」と誤植、25−上−1]であつた。しかし、どこにも妻の死骸はなかつた。
 Nはいたるところ
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