稲妻
原民喜

 疲れてゐるのに芳子の神経はたかぶってゐた。遙か窓の下の街の方では自動車がひっきりなしに走ってゐた。時々省線電車のゴーと云ふ響も耳についた。身動きすればベットは無気味に軋った。すやすや睡ってゐるらしい夫を起してはと思って芳子はぢっと悶えを耐へた。何が耐らないと云ふのでもないが、芳子は漠然とした不安に襲はれてゐた。東京に来てまだ三日目なのに、あんまりあちこち見物に出歩きすぎて疲れてしまったのかも知れない。
 ふと、芳子は今急に敵の飛行機が襲来して来てここのホテルに爆弾を投じはすまいかと思った。それは今日万国婦人子供博覧会の国防館で観た空中戦の模型が頭に残ってゐるためだった。が、さう思ひながらも不安は減じなかった。糜爛性ガス、催涙性毒ガス、窒息性毒ガス、あのガラスの筒が投下された瞬間を想像するとぞっとしてしまふのだった。
 こんなに私は不安なのに、どうして夫は平気で睡ってゐるのだらう――芳子は男と云ふものの落着きを今更不思議さうに眺めて、それにぢっと信頼したくなった。そして気を紛らすために今日三越で購ったショールの色合ひを想ひ出してみた。が、いけなかった。あのショールも戦争
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