\人あまりの職人が仕事でもはじめたような物音を聞きました。振り返ってみると、この猫が咽喉《のど》をゴロ/\鳴らしているのです。細君が食物をやったり、頭をなでている間に私はそっと、その猫を眺めてみましたが、その大きさは、まず、牡牛の三倍はありそうでした。私は五十フィートも離れて、猫から一番遠いところに、立っていたのですが、そして、細君は、猫が私に跳びかゝったり、爪を立てたりしないように、しっかり猫を押えていてくれたのですが、それでも、私はそのもの凄い顔が恐ろしくてならなかったのです。しかし危険なことは起らなかったのです。
 主人はわざと、私を猫の鼻の先三ヤードもないところに置きました。しかし、猫は見向きもしませんでした。猛獣というものは、こちらが逃げ出したり、怖がると、かえって追っかけて来て跳びかゝるものだ、ということを私は前に人から聞いて知っていました。それで、私は今いくら恐ろしくても知らん顔をしていよう、と決心しました。
 私は、猫の鼻先をわざと、五六回、行ったり来たりしてやりました。それから、ずっと側《そば》まで近づいて行ってみました。と、かえって猫の方が怖そうに後しざりするのでし
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