2 不思議なヤーフ

 私が言葉をおぼえるというので、主人も、子供たちも、召使まで、みんなが私に言葉を教えてくれます。
 私は手あたり次第、物を指さしては名前を聞きます。そして、その名前を手帳に書き込んでおいて、発音の悪いところは、家の者に何度もなおしてもらいます。それには、下男の栗毛の子馬が、いつも私を助けてくれました。
 この家の主人は、閑なときには何時間でも、私に教えてくれました。彼ははじめ、私をヤーフにちがいない、と考えていたのです。しかし、ヤーフの私が物をおぼえたり、礼儀正しかったり、綺麗好きなので、彼はとても驚いたらしいのです。ヤーフなら決して、そんな性質は持っていません。彼に一番わからなかったのは、私の着ている洋服のことです。あれは一たい何だろう、やはり身体の一部分なのだろうかと、彼は何度も考えてみたそうです。
 ところで、私はこの洋服を、みんなが寝静まってしまうまでは決して脱がなかったし、朝はみんなが起きないうちに、ちゃんと身に着けていたのです。
 馬のようにものが言えて、上品で利口そうな、不思議なヤーフが現れたと、私のことが評判になると、近くの馬たちが、たび/\、この家を訪ねて来ます。私に会いに来る馬たちは、私の身体が、顔と両手の外は、普通の皮膚がまるで見えないので驚いていました。いつも私は用心して、裸のところを見せないようにしていました。
 ある朝のことでした。主人は召使に言いつけて、私を呼びに来ました。そのとき、私はまだぐっすり眠っていたので、服は片方にずり落ち、シャツは腰の上に載っていました。これを見て召使はすっかり驚き、さっそく、このことを主人にしゃべりました。私が服を着て、主人の前に行くと、主人は不審そうに尋ねました。
「お前は寝たときと起きているときとでは、まるで姿が変るということだが、それは一たいどういうわけなのか。」
 私はこれまで、あの厭なヤーフ族から区別してもらうために、洋服のことは秘密にしておいたのです。しかし今はもう隠せなくなりました。そこで主人に打ち明けてしまいました。
「私の国では、仲間たちはみんな、動物の毛で作ったものを身体に着けています。これは寒さや暑さを防ぐためと、礼儀のためにそうするのです。それで、もしそれを見せよ、とおっしゃるなら、私はさっそく裸になって、お目にかけてもよろしいのです。」
 そう言って、私はまず、ボタンをはずして上衣を脱ぎました。次には、チョッキ、それから順々に、靴、靴下、ズボンと脱いでゆきました。
 主人はさも不思議そうに眺めていましたが、やがて私の洋服を一枚ずつ拾い上げて、よく検査していました。それから、今度は私の身体をやさしくなでたり、私のまわりをぐるぐる歩きまわって眺めていました。そしてこう言いました。
「やはりヤーフだ。ヤーフにちがいない。だが、それにしても皮膚の軟かさ、白さ、それから身体にあまり毛のないこと、四足の爪の形が短いこと、いつも二本足だけで歩くことなんか、他のヤーフどもとは、だいぶ変っているようだな。」
 そこで、私も彼にこう言ってやりました。
「一つどうも面白くないことがあるのですが、それはしきりに私をヤーフ、ヤーフと呼ばれていることなのです。なにしろ、あんな厭な動物たらないのですから、私だってヤーフは大嫌いなのです。どうか、これからはヤーフと呼ばれるのだけはよしてください。それから、この洋服のことは、あなたにだけ打ち明けましたが、まだほかの人には、どうか秘密にしておいてください。」
 すると、主人は私の願いを、快く承知してくれました。それで、この洋服の秘密はうまく守られました。
 ある日、私は主人に身の上話をして聞かせました。
「私は遠い/\国からやって来たのです。はじめ私のほかに五十人ばかりの仲間が一しょでした。この家よりも、もっと大きい、木で作った容れものに乗って、海を渡って来たのです。」
 私は船のことをうまく口で説明し、それが風で動くことも、ハンカチを出して説明しました。すると、主人はこう尋ねました。
「そうすると、誰が一たいその船を作るのだ。また、フウイヌムたちは、よくその船をヤーフなんかにまかせておけるだろうか。」
 フウイヌムというのはこの国の言葉で、馬のことでした。私は彼にこう言いました。
「実はこれ以上、お話しするには、ぜひその前に、決して怒らないということを約束してください。」
 彼は承知しました。そこで私は話しました。
「実は船を作るのは、みんな私と同じような動物がするのです。それは私の国だけでなく、今まで私はずいぶん旅行しましたが、どこの国へ行ってみても、私と同じ動物が一番偉いのです。ところが、私はこの国へ来てみて、フウイヌムが一番偉いので、非常に驚きました。」
 私がこう言うと、彼はびっくりし
前へ 次へ
全63ページ中53ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング