ら子供の頃から聞かされてゐます。夏の日もうつとりとして、よく僕は小人の世界を想像したものです。子供心には想像するものは、実在するものと殆ど同じやうに空間へ溶けあつてゐたやうです。さういへば、少年の僕は、船乗になりたかつたのです。膝をかかへて、老水夫の話にきき入つてゐる少年ウオター・ロレイの絵を御存知ですか。あの少年の顔は、少年の僕にとても気に入つてゐたのです。
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地図を愛し版画を好む少年には
宇宙はその広大なる食慾に等し。
ああ! ランプの光のもと世界はいかに大なることよ!
されど追憶の眼に映せばいかばかり小なる世界ぞ!
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ボードレールは「航海」といふ詩で、かう嘆じてゐますが、僕自身は今でもまだ人生の航海を卒業してゐない人間のやうです。
しかし、近頃の新聞記事を読むと、何だか、この地球はリリパツトのやうに、ちつぽけな存在に思へて来るのです。卵を割つて食べるのに、小さい方の端を割るべきか、大きい方の端を割るべきか、と、二つの意見の相違から絶えず戦争をくりかへさねばならないほど、小ぽけな世界に……
だが、小人国から大人国、ラピユタ、馬の国と
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