獄中の女より男に
原田皐月
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)斯《か》うして
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)日|許《ばか》り
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)恁※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)暗い/\
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一
私には暗い/\日|許《ばか》り続いて居ます。もう幾日経つたのか忘れて了ひました。此処に斯《か》うして居ると堪らなく世の中が恋しくなります。貴方の傍が……貴方の傍が……貴方はあのテーブルの上でお仕事をして被入《いらつしや》るでせう? 一輪ざしの草花がもうぼろ/\に枯れたらうなんて昨夕も考へましたの。そして貴方は其ぼろ/\の花を矢張り捨てないで眺めて居て下さるんだと思つたりしてましたの。妙な事迄考へたんですよ。貴方がね、毎晩私のあのつぎだらけの寝巻を抱いて寝て被入るのだなんて。そして私の考へてる事が皆事実の様な気がするんですの。私にちやんとそれが見える様な、私が知り抜いて確かな事実の様な気迄するんですの。恁※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》手紙を書いたら貴方はお泣きになる? 泣いて下さいね。そして私が恁※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]に苦しんで居る為だけでも貴方は一生懸命貴方のお仕事をして下さいね。私はほんとうに心配して居ますの。貴方が此事の為に動揺して苦しんで被入りはしないかと思つて。私の考は何が来ても動かないのですし、法律は法律の極め通り進行するでせうしなる様になるのですから少しも心配はないのですが、若《も》し貴方が彼の時の約束に背いて私の苦痛を半分助け様なんて被入りはしないかとそれ許りが心配なのですの。離れて居ては貴方のお心迄が分らなくなつて了《しま》ふ。若し貴方が其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》お心持から又この暗い世界へ私と同じ様に身を沈めてお了ひになつたらそしたら貴方が死ぬ許りか私も死ぬのですもの。くどい様ですけど此度の事の責任は全部私に任せて下さいね。そして貴方はお仕事の方|丈《だ》けを専心遣つて下さいね。私は貴方の事許りを考へて優しい女らしい事を並べたてゝ、只貴方を泣かすのではないんですの。いつか御相談しました様にさうして下されば貴方のお仕事の中で私も活きて行かれるんですもの。私を憐んで下さるならどうぞ貴方のお仕事を可愛がつて下さい。そして私の事も可愛がつて下さい。そして私の寝間着を抱いて下さい。私の着物でも私のお茶碗でも私のお箸でも私の櫛でも私の白粉でも私の私の何でもをキツスしてやつて下さい。あゝ私は此処に居てもそれが皆判ります。
貴方は世の中の嘲罵を浴びて被入るでせうね。堕胎女の情夫はあれだと。貴方はぢき其れが怎《ど》うした? とそふ気になつて力み返るんでせう? さう思ふと私はふんと笑ひたくなります、何でもいゝ、二人を知つてるのは二人ですはね。二人ぢやない、二人はほんとに独りなんですものね。私はほんとに嬉しいのです。毎日の訊問に疲れ切つた時でも私を隅から隅迄知つてる人が今仕事をして居る。私は凡てを知られて居ると思ふと、世の中の人間が皆私に唾してもあゝ沢山だと思ふんですの。
二
裁判官は人類の滅亡も人道の破壊も考へない虚無党以上の犯罪だと云つて卓を叩いて怒りましたの。私が裁判官の
「では何所迄も悪いとは思はないのか」
と云ふ問ひに答へて
「悪かつたと思ひます。ほんとうに。然しそれは私が今迄姙娠した経験がなかつた為に其方に不注意だつたと云ふ事に対してなのです。私が凡ての点に於て未だ独り前の母になる丈けの力がないのを承知し乍《なが》ら姙娠しない様に注意しなかつたと云ふ事が大いに悪かつたのでした」。
と云つた時にですの。私は裁判官が朱の様に怒つたので驚きました。丁度私は俯いて答へてゐましたのに卓を打つ音に驚愕《びつく》りして顔を上げると法官の顔が凄い様なんですの。私は怩《じつ》と其顔を見てゐました。
「人命をみだりに亡ぼす事を考へないか」
と怒鳴りましたの。私も少し皮肉でしたけど
「女は月々沢山な卵細胞を捨てゝゐます。受胎したと云ふ丈けではまだ生命も人格も感じ得ません。全く母体の小さな附属物としか思はれないのですから。本能的な愛などは猶《なほ》さら感じ得ませんでした。そして私は自分の腕一本切つて罪となつた人を聞いた事がありません」
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