ら手紙が来てゐた。正月に上京して、浅草で雀と云ふ名前で芸者に出てゐるから、ひまがあつたら寄つてみてくれと云ふ音信だつた。
 里子が芸者になつてゐると知らされて、幾年か前の、牛込若松町の喫茶店の二階での事を、直吉はふつと思ひ出してゐた。黄いろいしごきの帯をして、芸者になりたいと云つた、あの頃の里子の思ひ詰めた言葉を、はつきりと、直吉は記憶にとゞめてゐたのだ。芸者になる事をそんなに思ひ詰めてゐたのかと、直吉は、仲々、たいこ焼きを食べなかつた里子の頑固さを思ひ出して、その一念の強さに驚いてゐた。――直吉はすぐその日のうちに里子を尋づねて浅草へ行つた。まだ昼前であつた。田原町で市電を降り、番地を頼りに探して行つた。旅館とも料理屋とも判らぬ、しもたや風な軒並みの路地の中に、その家はあつた。直吉はカーキ色の仕事服に戦闘帽をかぶり、飛行将校のはくやうな、赤革の短い長靴をはいて、意気な家の格子を開けた。狭い玄関の三畳で、後向きに、一升瓶の中へ米を入れて、鉄の棒ですこんすこんと米つきをしてゐる日本髪の娘がゐた。部屋のなかにはぼおつと薄陽が射してゐる。格子の開く音で、娘は振り返へつたが「あらツ」と云つて、娘は立ちあがつた。案外脊の高い娘だつた。冨子に何となく似てゐたので、
「里子さんですか?」
 と、直吉は赤くなつて率直に聞いた[#「聞いた」は底本では「開いた」]。
「えゝさうです。お手紙着きまして?」
 と、無邪気に、自分の手紙におの字をつけて娘は訊いた。すぐ、出て行くから、外で待つてゐてくれと云ふので、直吉は帽子を被りなおして路地を出て行つた。路地の外の小さい花屋に、芍薬や牡丹の花が硝子越しに溢れるほど見えた。直吉は久しぶりに美しい花を見る気がして、暫くそこへつゝ立つてゐると、十分ばかりもして、里子が黒地に赤い矢絣のモンペ姿で出て来た。並んでみると、脊の高い直吉の肩まであつた。直吉は赤くなつて帽子を取つた。里子は藪睨みの涼しい眼でにつこりして、「私ね、何時か酒匂さんに逢へると思つてゐました」と大人びた事を云つた。
「大きくなつたね」
「さうかしら、別に大きくなつたつて思はないけど、姉さんよりは、これで、ずつと小さいのよ」
 二人は賑やかな方へ歩き出した。狭い町通りだつたが、両側の店からラジオで縄飛び体操の軽やかなメロデイーが流れてゐる。
「私、正月に今の処へ来たンです。どうしても芸
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