人と茶を飲みにはひつた直吉は、こゝで里子の姉である冨子を知つた。――冨子はその頃十八で、色の浅黒い大柄な女だつた。もう一人は二十三四だとかで、これはあまりぱつとした女でもなく、陰気だつたので、冨子の方がかへつて目立つてゐた。鏝焼けのした、まつかな髪を振り乱して、垢染みたポプリンのワンピースを何時も着てゐたが、大柄で肥つてゐたので、洋服なぞは皮膚の一部のやうに見えた。直吉はかうしたかまはない冨子が好きで、時々冨子の喫茶店へ無理をして通つて行つたが、或日、冨子が二階へ上れと云ふので、直吉が二階へ上つて行くと、針箱を拡げた狭い部屋の中で、冨子は、もう一人の波江と云ふ女とあみだ[#「あみだ」に傍点]を引いたのだと、新聞紙にたいこ焼きなぞを拡げて食べてゐるところであつた。波江は窓のそばで横坐りになつて、雑誌をめくつてゐたが、二人が二階へ上つて来ると、口をもぐもぐさせながらあわてて縫物を片寄せてくれた。押入れが明けつぱなしで、下の押入れの行李の上に、黄いろいしごき帯をした女の胴体が見えた。驚いてその方を眺め、押入れに誰か這入つてゐるのかと直吉が尋づねると、冨子が、くすくす笑ひ出した。「あンた、妹がね、突然家出してね、私を尋づねて来たのよ、困つちやふわア。東京で奉公をしたいつて云ふンですけどねえ」押入れの中では、泣いてゐるとみえて、急に、くすんくすんと鼻をすゝる声がした。
 冨子が押入れに声をかけて、里子、出ておいでよと云つても、押入れの中の冨子の妹は仲々出ては来なかつた。――冨子に聞くところに寄ると、小学校を出た妹の里子は、兄弟が多いので、上の学校へも行かせて貰ふわけにはゆかなくて、子守ばかりさせられるのが厭で、東京で喫茶店勤めをしてゐる姉の冨子を頼つて、何処かへ奉公するつもりで出て来たのだと云ふ事だつた。実家は荷車曳きで、冨子は早くから家を出てゐたし、その次の十六になる長男は、高等小学を出ると、野田の醤油会社に勤めに出てゐた。したがつて三番目の里子が、沢山の弟や妹の世話をしなければならない。毎日が子守に明け暮れする里子にとつては、姉の冨子の東京での生活が羨しくてたまらなかつた。「里子、何時までも押入れにはひつてゐないで、出ておいでよ。たいこ焼き食べなさいよ」
 冨子はさう云つて、ぺろりと押入れの方へ舌を出して笑つた。妹の里子は、上京して来るなり、姉に叱られて、今日にも千葉へ追
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