な冷たい声を持つてゐた。
「私、今朝から御飯食べてないのよ‥‥」
 寒子がまだ半ゴートも脱がない先に、ミツシヱルは、小さい寒子の肩に手を置いてかう云つた。
「ねえ、少し下さいな」
 毎度の事なので、寒子は要領よく十フラン札一枚ポケットから抜いて卓子の上におくと、まるで子供のやうにミツシヱルは寒子の頬に口づけて、トレ・ジャンテイを振りまはしてゐた。
 空気のせゐなのか、部屋の中が甘ずつぽく匂つて、天窓には月が射してゐた。
なゝめになつた白い壁には、男の写真がいくつも飾つてあつた。
 遠くから見ると、まるで動物の写真のやうに見えて、寒子は心の中で一寸子供つぽく苦笑してしまつた。
 十フランの金を持つたミツシヱルはまるでゼンマイに弾ねられた仔犬のやうに、昇降機《アツサンスウル》のない石の段々を、木魚のやうな音をたてゝ降りて行つた。
 娘と寒子と二人きりになると、白々と体の中を風が吹き抜けるやうな静けさにもどる。――すると、娘は鼻唄を止めて、白い腕を伸ばすと、枕元のスウヰッチを捻つて電気をつけた。
 取りとめもなく呆やりとしてゐた寒子は、この小さい家根裏の部屋に、月の光が射してゐたので、灯火は
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