と、マロニヱの並木は、すぼんだ傘のやうに、パツと水を切つて前よりもいつそう鮮やかに緑が美しくなる。
「これから何処へ行くの?」
 男は先に歩いてゐた。
「これから、――死にゝ行くのさ」
「死にゝ行くウ?」
「うん、――これだ!」
 男はポケットから、黒いピストルの口を出して見せた。

 10[#「10」は縦中横] 寒子は気が狂ひさうであつた。
 温室咲きの薔薇のやうに美しくそだつて来た寒子の体内には、火がついたキリンが走りまはつてゐる。
 寝台に起きあがつて、何度|巴里夕刊《パリ・ソアル》を引つくり返して見ても、やつぱりあの男の顔が出てゐる。今朝、あの男と雨宿りしたばかりなのに、「青色ロシヤ青年首相暗殺」この大きな表題の下には、自ら赤白を否定して、青色と名乗る青年の写真が出てゐた。
「まあ、あの人だ、あの人だわ――」
 寒子は空気を抱きしめて泣いた。
「死にに行くのだよ」
 さう云つて気軽に別れたあの男が、絵の展覧会場にゐるフランス首相のそば近くに寄つて、ピストルを放たうとは思ひもよらない。
 寒子は、坐つても立つてもられない気持であつた。
「さうだ! ミツシヱルの家に行けば、ロロの居
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