トから緑を連想し、地図の上から、汽車をひろはふとした熱情もいつか失せて、寒子はまた何日か埃の中の静物の上に摸索を続けさせてゐた。
ロロもいまは国外追放になつてしまつてゐるし、ミツシヱルも、他のモデルの風説では、すつかりソルボンヌの文科大学生と恋仲になつてしまつてゐると云ふ事であるし、――寒子は孤独なまゝに、いつか、自分の描く絵にギモンを持つて来た。
「こんな花だの、林檎だの描いていつたい何になるんだらう――何の役に立つのだらう」
筆をポキ/\折つてしまひたかつた。
何度となく故郷へ帰りたいと手紙を出しても、家から来るたよりは、折角パリへ出かけたのだから、仕上げて帰つて来たらといつて来るばかりであつた。「何を仕上げるのだらう――」
パリにゐる日本人の絵描きは、大方寒子のことをうらやましがつてゐた。
寒子もそれに甘へてひどく長閑に、気まゝに絵を描くことに精進してゐたのだが、牢屋のキャバレーで、眼の美しい髭の男を見てから、退屈屋の寒子が、余計海の上の雲のやうに呆んやり考へる日が多くなつた。
たまに気が向くと十四区の城街へ足をやつてみるのだが、共産党の本部の扉は、いつでも閉つたまゝ
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