髪のかたちをなほした。
「あゝ何時になつたら、敷物のある、浴室のある、花束のある、いゝ紅茶茶碗のある部屋がもてるんでせうね」
「ミツシヱルはそんな事ばかし云つてゐるけれど、そんなものがあつたつて人生はつまらないわ」
「あら、人生つてそんなものばかりよ、何が人生だつて云ふの、貴方の理想の人生だなんて、東洋へ行つて爪を伸ばす事だわ――」
 ロロは沈黙つて笑ひながら立ちあがると、青いピジャマを抜ぎ捨てゝ、肌着一枚の上から、男物の色あせた外套を羽織つた。
「帰るの‥‥」
「うん」
 洗面台の前に立つたロロは、水ブラシを髪にあてながら、鏡の中の自分の顔をものうげに眺めてゐた。黄色い梅の花のやうな感じの顔であつた。
「ぢやア私も帰るから送つて行かう」
 寒子も、蓄音機の蓋を閉めると腕時計を眺めながら、鏡の中のロロを見た。
「ぢや三人で少し歩きませうよ」
 外へ出る事になると、急に部屋の中が賑やかになつて、ミツシヱルは又思ひ出したやうに「しのびなき」の唄をうたひ出した。
 三人の女は思ひ思ひに、心の中で一人言を云ひながら、妙に浮々として笑ひあつた。
「ホツホツ‥‥私にや二ツの恋があるんだわね」
「嘘! 私の胸には二人の女が住んでゐるんだわ」
 ロロは相変らず、灰をかぶつたやうな事を云ふ。ミツシヱルはキャツキャツと笑ひながら寝台の鍵をかけた。
 七ツの石段を降りて行くのだ。
 なるほど、ミツシヱルが私の天国と云ふだけあつて、まるで、山の小道を降りてゐるやうな感じであつた。
「あゝもう一度、フランスは革命祭を持つといゝのよ」
 何を思ひ出したのか、ロロは立ち止つてからいつた。

 5 女の性根といふものは、風よりも空気よりも他愛がない。
 道を歩けば歩くで、風がすぐ心の中にまで沁みて来て、妙に家に帰ることが厭になつてしまつたり‥‥変つた男の声とさゝやいて見たくなつたり‥‥ミツシヱルもロロも、舗道を歩きながら何度も銀色の練紅を唇に塗りたくつてゐた。
「ねえ寒子、踊場へ行かない?」
 ミツシヱルがそんな事をいひ出さないでもいゝかげん三人の女の心の中は、何かもやもやと甘くなりすぎてゐた。
「トレ、ボン!」
 ロロは浮々してルンバの腰つきをしながら体を振つて二人の女達を笑はせた。
 パンテオン裏の方に歩いて行くまでに、もう二組の巡査隊に会つた。よつぽど更けたのであらう、薄かつた月が濃くなつて
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