とつくについてゐたのだらう[#「ゐたのだらう」は底本は「ゐたのだろう」]とも思つてゐたに違ひない。
「オヤ、電気ついてゐなかつたの――随分いゝお月様だつたのねえ」
 灯火の流れは、暫時は女の顔を果実のやうに美しく照らしてゐた。
「えゝ随分いゝお月様でしたわ、もう五時間もあの天窓にぶらさがつてゝくれるので、ミツシヱルと随分色んな空想したんですよ、ミツシヱルは長い事卵子を食べないので、卵子の事ばかり云つてゐるし、私はまるで、金貨のやうだつて思つたんです」
「今日はミツシヱルはモデルにまはらないの‥‥」
「えゝ廻つたところで、一週間に五時間ぐらゐぢや、歩かないで寝てた方がいゝわ、とても、このパリもモデルが多くて、――今ぢや淫売とモデル兼業の女も多いし、とてもとても食つて行けさうもないの」
 女は退屈さうに長い十本の指を灰色に近い金髪の頭の中に入れてゴホンゴホン咳をしだした。
 体のどこかに病気の巣食つてゐるやうな透き通つた女だ。――寒子は沈黙つて立ち上ると、部屋の隅に、埃だらけになつてゐる蓄音機の蓋をあけて、キイコキイコ捻をまはした。

 4 「私、道で食べ食べ来ちやつたわ」
 ミツシヱルの手には半分になつた長いパンと、小さな包み紙があつた。
 包みの中からは、トマトの酢漬や鶏肉や、紅いうで卵子なぞが出た。
「随分御馳走でせう、――さあ、ロロおあがりよ」
 一|法《フラン》いくらのつり銭を卓子に置くと、ミツシヱルと、寝台のロロと云ふ女は、まるで水鳥のやうにせはし気にパンを頬ばつた。
「あゝ眼が見えなくなりさう、あまり美味しくて、昨日、キャフェ一杯に三日月パン一ツ食べたきりなのよ、それにロロはロロで、好きなあのひとと喧嘩しちやつて――」
 寒子は、女達の食べてゐる姿をあまり美しいとは思はない。蚕の市場[#「蚕の市場」はママ]のやうな、破れた風琴のレコードを聞きながら、沈黙つて女達の話を聞いてゐた。
「ミツシヱル、私、食べる事も退屈だわ」
「まあ、冗談おつしやい、あんなにお腹を空かしてたじやないのよウ」
「お腹が空くと云ふ事と、食べると云ふ事は別よ」
「厭なひと、同じだわ、――貴女も、寒子とよく似て退屈屋さんだわね、私達やアいまでこそ食へないけれど、明日の日には、どんなエトランゼがみつからないともかぎらないぢやないのよウ」
 ミツシヱルは思ひ出したやうに歪んだ鏡の前に立つて、
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