商売をしているひとか知らないけれど、わたしは、そのひとが、とてもきざなのできらいだ。青いハンカチで顔を拭く癖だの、いつも赤い小さい櫛で髪の毛をなでつけているのはむしずが走る。田舎では考えた事もない、妙な男がホールにはよく現われる。何をして暮しているのかさつぱり判らない。友達も、みんなそれぞれ、好きなひとや恋人があるのだけれど、はたから見ていると、あんな男をと思うようなのを、女達は大真面目に愛している。そして、別れてはまた別のひとに逢い、また別れては別のひとにめぐりあうと云うようなはかない日が過ぎてゆく。昼間は、まるで艶気のない、陽蔭の草のようなわたしたちも、夜になると、やつと息を吹きかえして来る。楽屋では、お菓子のようにホルモン剤をのんでいる女もいる。わたしたちの風呂敷包みには、汚れたシュミイズに、手製のパン、縫いかけのブラウス、読みかけの汚れた小説本か雑誌しかはいつていない。ハンドバックのなかには、まとまつた金を持つているものはほとんどない。初荷の馬たちはみんな貧乏だ。
このごろ、時々、田舎へかえりたいと思う事があるけれど、それも、たゞそう思つてみるきりで、泣きたいほど故郷へ戻りたいと云うのではない。わたしは、おばさんのところへ毎月三百円ずつ払つている。おばさんは少しも変らない優さしさで、わたしにいつも、無理をしないで、そのうち、かたぎな仕事につきなさいと云つている。わたしは女学校も出ていないので、かたぎな仕事なンかはないと思う。大変な失業時代が来ると誰でも話している。――或日、久しぶりに銀座で[#「久しぶりに銀座で」はママ]、栗山は案外親切で、こんな事を云つた。「どこを歩いたつて、同じことだ。お前さんに似たりよつたりの女ばかりふえていて、大したこともない。時々、桃子のことを思い出して、どんなになつたかと心配してたンだよ。当分はまア、どうにも仕方がないお互いだね」わたしは、何だか胸がいつぱいになつてきた。二人ともお茶を飲む気もしなかつたので、夕方の街を丸の内の方へ歩いて、宮城の方へ散歩した。もう虫があたり一面なきたてゝいて、秋ふけた感じだつた。栗山は小さい楽団[#「楽団」は底本では「楽園」]にはいつて、ずつと旅まわりをしていたと話した。景気はいゝのだそうだけれども、栗山は沢山の家族のめんどうを見ているのでどうにもならないと云つていた。わたしは「栗山さん、わたしね
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