けれど、何か食べたい時は、みず知らずのひとがおごつてくれた。
 九月にはいつて、わたしは、どうも躯の調子が変だと云う事に気がついた。すぐ、関の事を思い出したけれど、子供を産むのは厭だと思つた。おばさんに話をすると、おばさんは、子供だけは産まなくてはいけないと云つた。子供が出来れば、わたしのような女もしつかりして将来のことを考えるようになるだろうと云つた。わたしは、子供を産む事なンか思いたくなかつた。わたしはホールでも激しく休みなしに踊つた。わたしのような女から産れる子供は気の毒だと思う。秋風が立ちそめてきた。偶然に、わたしは新宿の通りで小山に逢つた。小山は落ちぶれた姿でいた。わたしと別れてからもいゝ生活ではなかつたように思える。立話だけれど、小山は、「お前の為に、俺はひどい目にあつてね」と、二カ月程、警察へ行つていたと云う話もした。
 小山は、もう一度、気をとりなおして一緒にならないかと云つたけれど、わたしは厭だと云つた。昔の田舎娘が、すつかり変つてしまつて、どこのお嬢さんかと思つたと小山は呆れてわたしを見ていた。何をしているのだときくから、わたしは映画女優になつたのだと嘘を云つた。これから、一二年さきには、映画小舎であうことになるでしようと、云うと小山は本気にして、「俺は、もう、何もしないから、お前と一緒に住まわしてくれないか」と哀願するのだつた。わたしは、こゝろのうちでおかしくて仕方がなかつた。――男と云うものはみんな弱いものだと思つた。わたしは弱い男は嫌いだ。小山はお茶でも飲もうと云つたけれど、小山はお茶を飲むほど金を持つていないだろうと思つたので、わたしは、これから会社に行くのだと云つて、さつさと別れてしまつた。小山のような男はどうしても好きになれない。新宿駅のホームにはいると、ふつとわたしのそばに、きれいな女のひとが立つていた。灰色の背広を着て、茶色の大きいハンドバックに、同じ茶色の靴、お白粉も何もつけない顔は、日頃の手いれのゆきとゞいた美しいなめらかな肌で瞳は大きくてきらめくような表情だつた。何気なく通りすがる男たちが、その美しい女のひとに注意をむけては、ふつとわたしの方を見て、苦笑したような表情で通りすぎてゆく、わたしは何だか馬鹿にされたような気がした。――ホールへ行つて、仲間のひとたちをみると、新宿駅のホームで見たような美しい女は一人もみあたらない。
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