梟の大旅行
林芙美子

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)※[#「廻」の「回」の代わりに「囘」、第4水準2−12−11]轉窓
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 むかしあるところに、梟が住んでいました。ふかいふかい森のなかで、晝も、ほの暗いところなのです。あんまり暗い森のなかなので陽氣なお天氣の好きな、小鳥や、りすも、みんな、森のそとがわに出て住んでいました。
 梟はたった一人ぼっちで淋しいので、晝間も歌をうたって暮していました。
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ぼろ着て奉公!
ぼろ着て奉公!
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 梟が、ぱたぱたと羽ばたきをして、こんなうたを歌うので、森のなかの楡の木は、ほんとに淋しくなって退屈で仕方がありませんでした。
 ああ、また梟が何か云っている。どうして、あいつはあんなにいんきでじめじめした奴なんだろう。少しは、陽氣な歌でもうたってくれるといいんだのになアと、ぶつくさ云うのです。本當に森のなかはじめついていて、地びたの苔は、水氣でぐっしょり濡れていました。
 梟は、この森で生れたのではないのですけれど、もうこの森へ來て三年ばかりになります。誰も友達がなく、淋しそうに一人で暮しています。
「おい梟君、君はいったい、何が愉しみで生きているンだね?」
 と、楡の木がききました。
 梟はきょとんとした表情で、
「わたしかね?」
 と首をかしげて、猫の眼のような、金色に光った眼を暗がりの方へむけました。ぷきっぷきっと固いくちばしを鳴しながら、「そうだね。別に愉しみと云うものもないが、まア、こうして、平和でいられる事が一番ありがたいンだよ。――私はね、昔は妙な暮しをしていたのさ。いろんな世界も見て來たし、とても怖ろしい思いもして來たものさ。君は何も知らないから、自由に飛べる私を妙な奴だと思うだろうけれど、本當は、私はこれが一番しあわせなンだよ。」と云うのです。
「ほう、君は、そんな面白いところを見て來たのかね。私は足が動かないので、遠い世界をみた事はないが、梟君、おねがいだから、君の見たいろんな世界の話をしてくれないかね。」と頼みました。

 梟は身の上ばなしを始めました。
 私がはじめてものごころがついたところは、人間の住んでいる世界で、私は金色のまるい籠の中にいたのです。べっとりとしたすりえと、時々貰う肉や鷄のもつでそだてられたンですがね、いつも、籠のまわりを、とても大きいまるいものや、私に似たような生物がじいっとのぞいて私を見ているのですよ。私は不安で仕方がないので、いつも、とまり木の眞中にじいっとして暮していたンです。大きいまるい生物は人間の顏なのだそうで、この顏が私に餌をくれるのです。私に似た生物は猫と云う動物なンでね。おそろしくすばしこい奴で、人間がいなくなると、いつも、籠のそばへきてううと唸っているンです。私はこの籠の中に二年もいました。一週間目には、私はジョロで水浴をさせられる習慣なのですが、寒い日にはやりきれないと思いましたよ。しばらくして、私に餌をくれるお孃さんが亡くなってしまいました。お孃さんが亡くなってからは、餌も忘れられがちで、私は、死ぬのではないかと思うほどやせほそって、生きている氣力のない日がつづきました。夏になってから、私はとうとう思い切って、餌箱を入れる戸口から夜の戸外へ出てゆきました。始めは不安で、猫に出くわさないかと心配しました。板のつるつるした床を歩いているうちに、ふっと羽根を擴げてみました。何となく躯が宙に浮くのです。自分で自分の飛行術に自信がなかったのですが、急に私は夢中で飛びました。ぱたぱたとね。椅子の背中にとまってみたり、フエニックスと云う南國の植物だと云う[#「云う」は底本では「云ふ」]植木鉢に這いあがってみたり、歩いたり、飛んだりすると云う事は、狹い、小さい籠の中にいるよりはずっとましなのです。そして、とても冒險的で愉しくて仕方がありません。
 人間はいつも、もうもうと煙を吸っているので、私は灰皿のなかをつついてみました。人間の吸う煙のかたまりはとても辛くてたべられないものです。私は開いている※[#「廻」の「回」の代わりに「囘」、第4水準2−12−11]轉窓から、そっと戸外へ出てみました。私は何とも云えないいい氣持でした。月と云うものを始めて見たのですが……茄子色の空に、まんまるく大きい光ったものを見て、私は何だろうと思ったものですよ。屋根々々は夜露で光っていますしね、庭の木もきらきら露に光っていて、とても美しい夜でした。
 風と云う不思議な音を庭の木の上でききました。庭の木が、梢を鳴らしてさやさやとうごいていたし、蟲もないていたし、世の中は何
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