と云う廣さなのだろうと思いました。
 木から降りて、私はまたそこいらを飛んでみました。とてもいい氣持ちに飛ぶ事が出來ます。
 だんだん夜が明けて來ましたので、私は或家の軒下にとまって、じつと四圍の氣配をみていました。私の住んでいた家はもう判りません。夜があけかかると、近くのところで、鷄の鳴く聲がしました。小鳥が眼をさまして來ました。私はおなかが空いて仕方がないので、軒下のくもの巣をつついたり、ごみをつついてみたりしました。
 夜が明けて來ますと、私はもうまばゆくて珍らしい世界をみる事が出來ません。陽がぽかぽかとてりつけて、軒下が妙に暑苦しくなり、私は眠くなりました。
 その夜、私は、また、軒さきを出て、勇氣を出して飛びました。柔い土の上には、おいしい蟲の御馳走があります。私はお腹がいっぱいになるとまた飛びました。
 三晩目には、私は、もうだいぶ遠くまで、もとの住家から離れてしまったようですが、とうとうまた人間につかまって、トラックと云うものに乘せられて、一日じゅう私は生きた心地もなく動くものに乘せられていました。
 廣い廣い海と云うものも呆んやりとした眼にうつりました。私はまた人間につかまって前よりも小さい竹の籠に入れられました。小さい籠は、私が羽根を擴げるといっぱいになるほど狹いのです。私はいきおいよく、二三度羽ばたきしました。すると、籠の上のおもしがはずれて、籠がひっくり返えりました。私はまたそとへ出ることが出來ました。
 その家は自動車のガレージだったので、私はそのままぱたぱたと、コンクリートの固い道を這うように飛びました。水道の水がしたたっているので、ごくごく飮みました。とてもおいしい水でした。すると、何だか黒い大きい動物が、とても大きい聲で吠えたてて私に向って來ます。私はびっくりしてトラックの上へ飛びあがりました。その動物は犬だったのです。
 犬はとてもよく吠えました。私はそっと屋根裏づたいに戸外へ出て、月に光った白い道の方へ飛んでゆきました。白い道だと思ったのは廣い河でした。河岸にはいっぱい食物がありました。森閑として、人間は家の中によく眠っているので、四圍はまるで私だけの天地です。
 私は、もう、もとの住家に戻ってゆきたい氣は少しもありませんでした。でも、時々、やさしかったお孃さんの事を思い出しました。
 河にはどうして、こんなにどっさり水があるのかしらと不思議に思いました。ぴちゃぴちゃと水が鳴っています。私も、ほっほっと鳴いてみました。すると、思いがけない事に河岸の藪の中に何だかごそごそと動く音がしました。私はむじなだと思ったものですから、またぱあと飛び立って、船の屋根にとまりました。
 足もとがゆらゆらゆれるので、また飛び立って地びたに降りました。すると、今度は、私の家にいた猫と似ている生物がさっと私に向って來ました。まっしろい猫です。私はびっくりしてさっと飛び立ち、小さい樹の上へ逃げてゆきました。
 世の中に出たのはいいけれど、私は籠の中のように、平和に眠る事が出來ません。私は苦しい旅ばかりそれからつづけました。けれど、私の羽根はますます丈夫になり、私は、だんだん心も元氣になりました。この森へやっとたどりついた時には、私は、もう相當年をとりました。私は三年も旅をつづけて、やっと、この安樂な森へたどりついたのです。
 私はこの森が一番好きになりました。
 たべるものも、よくを出さないかぎり、平和に食べられますし、自由に歌をうたえますし、何と云う住み心地のいいところだろうと思っています。私はまだ、あと一二年は長生き出來るでしょう。
 森の神樣に心から私は感謝しているのでございます。

 梟はそう云って、ぷきっぷきっとくちばしを鳴らしました。



底本:「童話集 狐物語」國立書院
   1947(昭和22)年10月25日発行
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2005年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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