国でも、恋愛物語で埋れているようでいて、恋愛の微醺を説いた物語は皆無だ。恋愛は生れながらにして悲劇なのだろう。悲劇でもよいから、せめて浪漫《ロマン》的な恋をとおもうが、すでに、世の中はせち辛《がら》くなっていてお互いの経済の事がまず胸に来る。
夫婦同士は貧しくてもいいけれど、恋愛は貧しくては厭だ。しみったれて、けちけちした恋愛はまっぴらごめんだ。せめて恋愛の上だけでも経済を離れた世界を持ちたい。私はひとの奥さんだから、弱みそで困る。吸へどもかなし、ばらの花びら、こんな気持ちは心の上だけの遊びで、これも煙《けむ》りのような懐情の一つ。
未婚の者同士の恋愛は、どんな楽隊がはいってもいいからはなばなしくやってもらいたいものだ。巴里《パリ》の街のアベックのように、未婚の者の美しい恋愛は、遠くからみていても、けっして厭なものじゃない。大いに微醺を享楽して貰いたいものだ。どんなに貧しい恋人同士でも、恋のさなか[#「さなか」に傍点]にあれば王侯の如《ごと》しである。新らしい恋愛には経済も必要かも知れないけれど、ささやかながら、秩序正しく清純であってほしい。
私も、やがて、としをとれば、素晴らしい恋愛論が書けるようになるかもしれない。書けるようになりたいとおもっている。一人や二人の男を知っただけでは本当の恋愛なんて判らないのじゃないだろうか……。やがて、壮麗な恋愛論を一つ書きたいものだ。
底本:「林芙美子随筆集」岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年2月14日第1刷発行
2003(平成15)年3月5日第2刷発行
初出:「日本評論 昭和11年8月号」日本評論社
1936(昭和11)年8月1日発行
入力:林 幸雄
校正:noriko saito
2004年8月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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