たのだと云う。
道徳の上から律してゆけば、この未亡人の恋愛はどんな風なものなのか、私には解らないけれども、これは可憐《かれん》な話だとおもう。恋人に逢った翌《あく》る日は、てきめんに生活が豊富になると云うのだ。この若い寡婦はまた、その男とは結婚しないと云う約束のもとに二、三年も濃《こま》やかな愛情をささげおうていると云うことだが、こんな恋愛は新らしいとは云えないだろうか。結婚をするといっぺんに厭《いや》になりそうな男だけれども、恋愛をしていると、何かしげき[#「しげき」に傍点]されて清々《すがすが》しいのだと云うことだ。――十代の女の恋愛には、飛ぶ雲のような淡さがあり、二十代の女の恋愛には計算がともない、三十代の女には何か惨酷《ざんこく》なものがあるような気がする。
本当の恋愛とはどんなのをさして云うのだろう。サーニンのようなものを云うのだろうか、エルテルの悩みのようなものだろうか、それとも、みれん、女の一生、復活、春の目ざめ、ヤーマ、色々な恋愛もあるけれども、どれもこれも古くさくてぼろぼろのようだが、また、考えれば、どれもこれも新らしいとも云える。――恋愛をしてごらんなさい生々するから、そう云った友達の言葉が、私につぶて[#「つぶて」に傍点]になって飛んで来る。すると、いままで良人の蔭で目をつぶっていたような気持ちが、急に生々とたちあがって羅紗《らしゃ》の匂いの新らしい背広姿に好意を持ったり、襟足《えりあし》の美しさや、時には、よその男のもっている純白なハンカチの色にさえ動悸《どうき》のするような一瞬があるのだ。そうして、その動悸は肉体を苛《いた》めつけるような苦しいものがともなっている場合がある。よその奥さんの気持ちの中に、こんな気持《こころ》はミジンも湧いて来ないものだろうか。結婚をして、一人の男を知ると十七、八の娘のころのように雲のような恋愛はいやになってしまう。恋愛の気持ちのあるたびに、いちいち良人と別れるわけにもゆかないけれども……。
十年も連れ添うた夫婦で云えば、良人の方には色々なかたちで愉しみの世界があるけれども、奥さんはどんな風にしてとしをとってゆくのだろう。結婚をしているひとたちの恋愛には交通巡査がいる。あぶなくないように恋をしなければならぬ。あやまってよそのくるまに突きあたろうものなら、入院費もかかるし、家族も仕事に手がつかない。交通の整
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング