頭角《とうかく》を現わした華《はなや》かな人たちばかりであった。
鳥取へ帰った尾崎さんからは勉強しながら静養していると云う音信があった。実にまれな才能を持っているひとが、鳥取の海辺に引っこんで行ったのを私は淋しく考えるのである。
時々、かつて尾崎さんが二階借りしていた家の前を通るのだが、朽《く》ちかけた、物干しのある部屋で、尾崎さんは私よりも古く落合に住んでいて、桐や栗や桃などの風景に愛撫されながら、『第七官界彷徨』と云う実に素晴らしい小説を書いた。文壇と云うものに孤独であり、遅筆で病身なので、この『第七官界彷徨』が素晴らしいものでありながら、地味に終ってしまった、年配もかなりな方なので一方の損かも知れないが、この『第七官界彷徨』と云う作品には、どのような女流作家も及びもつかない巧者なものがあった。私は落合川に架したみなかばし[#「みなかばし」に傍点]と云うのを渡って、私や尾崎さんの住んでいた小区《まち》へ来ると、この地味な作家を憶《おも》い出すのだ。いい作品と云うものは一度読めば恋よりも憶い出が苦しい。
私の家の出口には、中井ダンスホールと云うのがある。まだ一度も行った事はな
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