つた。
「買つてくれるお人があるのかねえ」
眼も耳も達者で、若い時は淨瑠璃をやつてゐたせゐか、聲が澄んできれいであつた。
「えゝ、佐竹さんで、この家を世話するつておつしやるンだけど‥‥宿屋商賣も樂ぢやないし、このごろは柄が惡くなつて、使つてゐる人間だつて、爪の先ほどの親切氣もなくなつたンですもの、――つくづくこの商賣が厭になりましたわ」
「そりやアねえ、お前さんだつて樂ぢやないとおもひますけど、わたしは、もうこんな年だし、――本當は見も知らない家へ引越して死にたくはないと思つてるンだけどね‥‥」
「えゝよく判ります」
「でもねえ、何ですか、世間でよくいつてゐる、新體制ですか、それに順應してゆくといふたてまへなら、私もどこへでも行きますよ。――清治の位牌を持つてどこでも行きます」
一ヶ月ばかり前にやとひいれた里子といふ若い女中が、足袋もはかない大きい足で廊下を走つて來た。
「お神さん、雪の間で御勘定して下さいつて‥‥」
久江は障子の外から立つたなりでものをいつている里子の無作法に眉をしかめながら、
「あら、まだ二三日いらつしやるつて御樣子だつたのに、もう、お立ちになるのかい?」
「
前へ
次へ
全15ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング