えゝ、急に歸るンですつて‥‥」
「歸るつて言葉はないでせう。お歸りになりますつていふのよ――、どうも、この節のひとは、どうして、こんなに野郎言葉になつちまつたのかねえ」
久江は帳場へ行つて硯の墨をすりはじめた。
二
風のない暖かい陽氣が二三日續いた。
久江は地下鐵で淺草まで行き、松屋のそばから馬道の方へ這入つて行つた。二天門から觀音樣の境内へはいつて、行くと、平内樣を拜んでそれから暫く群れてゐる鳩を眺めてゐた。
鳩は無心に久江の足もとに餌をついばみにやつて來る。豆賣りの店を見ると、大豆はほんの數へるほど、錻力の小皿の中には、雜穀が澤山混つてゐる。久江は觀音樣へ來る度に、豆賣りから豆を買つて鳩へ與へるのがならはしであつた。
肩の上に白つぽい鳩が飛び降りて來た。
清治を連れてよくこの鳩を見に來たものだつたがと、今日、別れて久しい良人に會ふことが、久江にはあんまりいゝ氣持ではなかつたのだ。
四十七にもなつて、女が世間を迷ひ歩くといふことは、あまりみつともいゝことではないと思ひながらも、清治のゐなくなつたいまでは妙に氣持が弱くなつてしまつてゐて、まるで十七八の
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