うすあかく匂つてゐた。
 福はしばらく疊に額をつけて拜んでゐた。
「昨夜もねえ、清治の學生のころの日記を出してみたら、あんたのことが書いてあつたのよ、十二月のところなンか、毎晩のやうに、夜福々々つて書いてあるンだけど、――あの頃、何だか、毎晩用事があつて、十二時近くでなきや戻つて來なかつたけど‥‥あのひとらしいと思つて、夜、福さんのとこへ行つたつて意味なンだらうね‥‥」
 久江は、福を笑はせるつもりだつたが、福は默つて疊に額をすりつけたまゝ靜かに泣いてゐた。
 赤ん坊は乳臭くて可愛かつた。
 大森に住んでゐた頃、こんな風に清治を抱いて海を見に行つたことがあつたつけと、久江は赤ん坊の頬に、長い髮の毛のくつゝいてゐるのを唇で吹いて取つてやりながら、
「ねえ、お福さん、坊やの名前は何ていふの‥‥」
 と優しく尋ねた。
 廊下の處へおしめカヴアーをさげて坐つてゐた子守が、
「清太郎さんておつしやいます」
 と教へてくれた。
 大森にゐたころ、大吉郎は海苔屋をしてゐた。いまは海産問屋をしてゐるのだけれども、赤ん坊を抱いてゐると、羽二重の着物に、何とない海苔の匂ひがしてゐる。
 久江は子供の柔かい
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