ことに大吉郎がこまめにしてくれてゐる。久江は、へえ、この人も變つたものだと、昔の意張屋だつた大吉郎と考へくらべてゐた。
「お母さん元氣かい?」
「えゝ、お蔭樣で‥‥」
「あのひとは小食だから、躯も丈夫なンだね。――清治は何ヶ月になるかねえ、もう‥‥」
「三ヶ月ですよ」
「遺品のやうなものは何か來たのかい?」
「え、この二日に、部隊の方から送つて來ました‥‥」
 鷄が白く煮えて來た。
 久江は、生麩がきらひだつた。大吉郎はそれをまだ覺えてゐたのか、紅い生麩が來てゐるのに、その小皿は茶袱臺の下へ置いたまゝだつた。
「實はねえ、清治のことなんだけど、ねえ‥‥」
「へえ‥‥」
「お前さんにはまことにいひづらいンだけど‥‥」
「何ですの?」
「清治に子供があるンで、その話なンだがね」
「まア!」
「いや、さう、きつと、吃驚すると思つた。――清治のことは、お前さん一人が一生懸命骨を折つてゐたンで、こんなことはいへたことぢやないンだが――大學の頃から、ちよくちよく俺の方へ來てくれてゝねえ――家のおそのの親類に福といふ娘がゐて、まア、清治といゝ仲になつたわけだ‥‥」
 そのといふのは大吉郎を久江からうばつた女である。柳橋の待合の女中をしてゐたことのある女だとかで、久江は色の白いそのといふ女を一度、大吉郎が連れて歩いてゐたのを見たことがあつた。
「御冗談でせう! ――そんな、あのひとは、何だつて私に相談してゐましたし、それはまア、あなたのところへ清治が遊びに行つたかも知れませんけれども、――でも、それはおそのさんのいひがかりのやうなンで、お芝居ぢやありませんか。出征する時だつて、あのひとは萬一のことまでちやんといひおいて行つたのですからねえ――その時だつて、あなたのことなんか一言もいはないンですし、おそのさんがおせんべつ持つて來て下すつた時も、たゞ素直に貰つておいたゞけの話で‥‥そんな、そんな莫迦なことを今ごろになつて‥‥」
 久江は腹が立つて來て指がぶるぶる震へてゐる。
「いや、そんなに、あんたが怒るのも無理はないさ、無理はないけれど、話は話だ」
 清治と福が出來たのを知つたのはそのであつたが、そのは大吉郎には長い間知らせなかつた。久江との問題さへなければ、清治と福の間をうまくまとめてやりたいと思つてゐたのだつた。
「何か、そんな證據でもあるンですか?」
「うん、度々清治から俺のとこだの、福のところへ手紙が來てゐるンだよ――清治も、俺とお前さんのことをよく承知してゐるものだから、一人で今日までがんばつて來たお母さんへこんなことをいふのは辛いのだつたらうし、といつて、福はどうしても女房にしたいから、何とか、自然な方法でお母さんに話してくれないかといつて來てゐるンだよ。――戰死をきいた時、私もねえ、よつぽど子供と福を連れて行かうと思つたンだが、そんな時に行けば、かへつてとりこんでるあんたの氣持を怒らすやうなものだと默つてこらへてゐたンだ。――それだのこれだの福は氣を病んで二ヶ月ほど寢込んでしまふし、まア、今日まで延引[#「延引」はママ]してゐたンだが、何でも露月町ぢや家を賣つてしまふといふやうな話も出てるンだとかで、このさきはどんな風になるのか、俺も妙に心配だつたし、まア、まア、一應逢つて、とつくりと相談して、どうにでもお前さんの氣の濟むやうにと、今日はまア、厚かましい話を聞かせるンだがねえ‥‥」
「ほんとですかねえ‥‥信じられませんねえ、そんなこと‥‥」
 大吉郎は風呂敷の中から、自分や福に來た清治の手紙を出して久江の前に置いた。久江はそれを手にとつて、一つ一つ中味を拔いて讀んでいつた。正眞正銘の息子の字なので、久江は胸の中が熱くなつて來てゐる。(あなたの血を引いてゐるから‥‥)さうも眼の前のひとに心で怒つてみたりしたけれども、これほどまでに、自分に遠慮してゐたのかと、清治の氣持が何ともいぢらしくて仕方がない。

        四

 翌る朝、大吉郎との約束どほり、福といふ女が、赤ん坊を子守におぶはして久江を訪ねて來た。
 久江のやうに小柄で、美人ではなかつたけれども、人好きのする柔和な顏だちをしてゐた。二十三ださうだけれども十八、九にしか見えない。裾みじかに矢羽根のお召を着て、白い足袋のさきがすつきりしてゐる。
 羽織は紫しぼりの中々こつたものを着てゐた。
「さア、こつちへいらつしやい。――おばあさん、このひとがお福さんですよ」
 昨夜、年寄りには何も彼も話してある。年寄りは、早くその男の子を見たいといつた。何も彼もすぎてしまつたことだし、清治が自分達に子供を形見に遺してくれたことは有難いことだと年寄はよろこぶのであつた。
 昨夜、久江は話しながら涙をこぼしてゐた。自分に對しては、まるで腫物にでもさはるやうなあつかひかたをしてゐてくれた清治
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