つかりうらんでゐるはずです。出征の時だつて、あなたのお神さんが、おせんべつを持つて來られたンぢや、何ともいひやうがありませんしね。――まア、氣の小さいいひかたですけど、いまさら佛樣もないでせう?」
そのまゝ向ふの返事も待たずにがちやりと大吉郎からの電話を久江は切つてしまつたのだつた。
その電話から二三日して、また昨夜の電話である。
「何も彼もあやまるよ、男が頭をさげてたのむのだから、いつぺん來てくれてもいゝだらう、淺草の金田で待つてゐる。――ぜひ話があるンだよ、十二時半、これなら、君の商賣にもさしつかへないだらう‥‥ぢや、先きに行つて待つてるから‥‥」
久江は歩きながら、昨夜の電話に吊られて臆面もなく出て來た自分が後悔されたけれども、また何事も別れてゐた良人にいまさら逢ふのも、死んだ清治の頼みなのだらうと、自分でいろんな理窟をつけてみるのであつた。
金田へ着いたのが丁度十二時半、十二時のぽーは馬道のガラス屋の前で聞いた。一走り花川戸の新天の鼻緒屋へ行つて、五足分の黒鼻緒を買つて金田までゆつくり三十分。大吉郎は、奧まつた部屋の唐敷疊へ胡坐をくんでゐた。漆喰の圓窓から噴水だの、池だの、赤松だのが見える。
赤い襟の小女が、「お客樣です」と久江を案内してゆくと、大吉郎は肥えた躯をむつくりとゆすぶつた。
久江は小柄な女で、茶と黒の大名縞のお召に、くすんだ茄子紺の縫紋の羽織を着てゐた。
「忙しいンだらう‥‥」
昔からハンカチをつかつたことのない大吉郎は、きちんと折つた新しい手拭で額を拭きながら久江を見上げた。
「別に忙しくもないンですけど、このごろは人手もないもンで弱つてゐます‥‥」
坐るなり久江は眼を外らした。
大吉郎はもうだいぶ禿げあがつた酒燒けのした額で、子供のやうに眼をしばたゝいてゐた。結城の鐵無地の揃ひを着て、きどつたなり[#「なり」に傍点]をしてゐる。かうして差し向ひに坐つてみると、二人とも妙に白けてしまつて、何から話し出していゝのか、そのくせ、二人は氣忙はしさうに兩手を焦々ともてあましてゐる。
三
「お酒は?」
「いや、晝酒はくれないンださうだ。おしきせで食べるンださうだよ」
鷄皿や茶碗を運んで來た小女が笑つてゐる。
小さい茶袱臺の横に白木のふち[#「ふち」に傍点]のついた七輪が來た。鍋に割下をついで鷄を入れるのは珍らしい
前へ
次へ
全8ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング