當がほしくなつて、うどんだの辨當だのを注文した。旅なれないと見えて婦人記者氏も疲れてゐる樣である。
 辨當をすませて伊藤氏宅へ行つた。美しいおくさんや、小ちやい坊ちやんや孃ちやんに遇ふ。伊藤氏へあいさつ[#「あいさつ」に白丸傍点]をして私は釧路をたつて帶廣へ行かうと思つた。
 晝間の汽車にはまだ間があるので、支廳へ行き、先住民族の古跡を歩いて釧路の郊外にある春採湖《はるとりこ》へ行つてみる。
 春採湖は、摩周湖や屈斜路湖と違つて、ひどくアイヌ的で、ひなびてゐて賑やかな湖であつた。
 私は此一月あまりの北への旅で、何だか、湖と平野と沼地と森林ばかりを見て暮らしてゐるやうだ。陽氣になりつゝある。知らない土地で遇ふ人達は案外肥つた方ですねと云つてくれる。十一貫の小さい私が、一貫目もふえたのだから、どつかへ肉がついたのだらう。平野と湖を眺め暮らし、宿屋では牛乳と鮭と蕗ばかり。この一ヶ月は、私を樂天家にしてくれたのかも知れない。生きてゐることは愉しいことだ。

 釧路は午後一時半の汽車でたつた。また例の遲い列車で、來た時の驛々に一ツ一ツお目にかゝる事になる。狩勝峠は雨であつた。
 帶廣には五時頃着いた。平原の町らしく晴々して、アカシアの並木が深い葉を垂れてゐた。釧路から伊藤氏が電話をかけておいて下すつたのか、こゝでは奧原と云ふ人の出迎へを受けた。
 驛前の北海館と云ふのに這入る。
 旅館へはいると、ぽつんと一人になつた氣持ちで伸々とする。宿の前はすぐ驛への通りで、果物屋や、十錢スタンドがあつた。夕飯前に、私は一人で帶廣の町を歩いてみる。がらんとした淋しい町であつた。
 私は如何にも古くから此町には住んでゐるかのやうな容子で、町を歩いた。案外古本屋が多い。宿ではまた眠られないだらうと、一軒の古本屋にはいり、色々な本を手にしてみた。大正七年出來の白樺の森[#「白樺の森」に白丸傍点]と云ふのを三拾錢でもとめた。裝幀はリーチ氏のもので、口繪にはロダンの作品の寫眞が二三はいつてゐる。「或る小さき影」「巴里のゴロツキの顏」「ロダン夫人の塑像」なぞ、その外、ジオーンやラムの素描の繪がはいり何とも愉しかつた。
 私は夕飯をぼそぼそ食べながら、その本を展げて讀んだ。有島武郎の小さき者へ[#「小さき者へ」に白丸傍点]が載つてゐる。志賀直哉氏の網走まで[#「網走まで」に白丸傍点]なぞ、實に面白く讀
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